映画における聴覚的要素の機能 -映像の培養基 音声・環境音・音楽-



映画における聴覚的要素の具体的姿、武満徹の音
タケミツ・トーン
武満徹の映画音楽論
武満徹の現代音楽と映画音楽とかかわり
「狂った果実」における聴覚的要素の考察
「不良少年」における聴覚的要素の考察
「砂の女」における聴覚的要素の考察
「鑓の権三」における聴覚的要素の考察


 

●「鑓の権三
原作 世話浄瑠璃 「鑓の権三 重帷子」
監督
脚本 富岡 多恵子 
音楽 武満 徹
松竹富士配給 1986年1月15日公開

原作は、享保2年大阪高麗橋で起きた妻敵討ちを伏見橋に置き換えて、同年8月22日に上演された近松世話物19曲目の作品である。

●エッセイ「音楽の余白」 (新潮社、1980)
の中で、武満は次のように語っている。日本人は音を聴こうとするより表そうとする。「日本ではたった1音で、すでに音楽そのものなのです。その音は自然を内包しうるし、時間に関係して存在しているのです」。秋山邦晴は、劇映画はストーリー展開、視覚的リズムと映像の内的なテーマの構造を細かく追いながら音楽的な表現が設計されなければならず、ときには音楽的な形式を否定してしまったような1音でも表現として成立しうるとしている。「音楽は一音では成り立たないが、映像との関係によって生み出される映画音楽は、たった一音の持続によって表現が可能である」。

●武満の邦楽器への関心は
単に日本的雰囲気をあらわすためにもちいられるのではなく、一音として持つ意味の深さを映像に付加することによる効果をねらったものである。時間・空間が自由に行き来し交錯する点において、一般的に能と映画の手法の共通性は指摘されるが、武満は脳にも興味を示す。能において演じられる「性格」は、或るものから別の性格へ移りゆく超速度の変化であり、その一瞬の空隙にたちあらわれると述べている。

●「鑓の権三」の「音」の特徴としては
極力音を排除しようとする意志が感じられることである。ほとんどが1場面一楽器使用の単旋律で、しかも非常に短い。映画の中の音をすべて合わせても10分にも満たないであろう。1音だけつけられる場面もある。武満はエッセイの中で日本の音楽の間について「沈黙は音と同じ大切なのです」と語っている。この「鑓の権三」でも「音」は非常に募黙である。しかも沈黙は武家社会に厳然と存在する建前の世界を言語以上に表現している。「鑓の権三」の「音」について、もう少し細かく分析してみよう。

1) ライトモチーフ的な使用法
ライトモチーフとは、音と映像とのモンタージュ的手法で、ストーリーの展開の中で一定の条件のもとで同じ音を与えることによる、観客に常に主題の意味を喚起させる機能を持つ。
・人物のキャラクターの象徴
 琵琶・・・女の情念(建前社会を打ち捨てた心の表出)を表す。
 笛  ・・・権三の性格(頼りなさ 軽率 行動力不足の二枚目)
・音楽による場面設定
 琵琶・・・本音の世界
 打楽器・ゆっくり間をとって打つ。(封建社会の建前の世界)
      ・乱れ打ち。         (建前の世界の崩壊)
 弦 ・・・・義の世界
 歌 ・・・・狂の世界

2) 映像との対位法
おさいのモノローグの激白では、初めて生身の女として情念と怨念が噴出し、様式の世界から人間の世界への移行を音であらわしている。しかも、おさいの心の高揚を際立たせるように、琵琶はあくまで無表情に平坦に響く。

3) 映像との同時性
おさいの嫁入り道具返納後の打ち壊しの場。シーンのテンポと音楽のテンポが調和している。スローモーションに合わせたロウ・テンポで、建前の世界ではおさいは、もはや破滅されたことの象徴音でもある。

4) 浄瑠璃の幕引き的場面転換としての音楽。
セリフと音と重なる場面はなく、音楽はすべてシーンとシーンの合間に短時間に挿入される。浄瑠璃の幕を意識した手法といえる。

5) 楽器の特性
琵琶を使用することにより、呪力表現に成功している。

●最後に
「The 3rd TOKYO Music Joy'87」のプログラム中の「武満徹映画音楽の世界を語る」で、武満の映画音楽への姿勢を鮮明に表現している文章を少々長いが引用して、本論文の幕を降ろすこととする。

「僕が映画音楽に関わるときは、シナリオの段階から付き合うのです。音楽の配置はまず僕が言い出してから監督と相談して、最終的には監督が決めていく。映画音楽でもう一つ大切なことは、最終のダイビングでフィルムに音楽を付ける作業です。これはとてつもなく時間のかかることで、大きく入れるか小さく入れるか、どこからどこまで入れるかで映画音楽の性格が変わる。ましてやいろんな現実の音もあるわけだから。僕は原作本からロケーション、ラッシュ、そしてダビングまでどれも関わっていくので、映画音楽だけと申し込まれるととまどってしまうので。」「映画音楽に深く関わると監督によって「ここはこういう音楽を!」と、ひとつのチャレンジが課せられてくる。そのことで、自分自身が気がつかない自分を見い出すことになる。これが好きなのです。」

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