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●映像と結びついた表現として
1 映像との同時性
2 映像との非同時性
3 映像との対位法
4 映像との偶然性
5 映像との異化効果
があげられる。
●1 映像同時性は
すでに言及したエイゼンシュテインの「視聴覚のモンタージュ」に顕著に見られる。例として、ニコラス・レイ監督「理由なき反抗」 (Rebel without
a Cause, 1955) では、レナード・ローゼンマンは青年たちの屈折した心の悲しみ、優しさ、叫びを美しいメロディーで表現している。
●2 映像との非同時性は
音と映像のズレで、動使河原宏監督「砂の女」の中で武満徹がつけた音響に効果的に見られる。男の脱出の際、深いすり鉢状の砂の底から這い上がる時、手がズルリと崩れた砂をつかむと同時に、電子処理されたシャーンという激しい音響が入る。その後に男は砂穴の底に転がり落ちる。その時は無音である。映像と音楽の非同時性であるが、我々が日常にふっと予感に襲われガーンと頭を殴られたような感覚に陥ったすぐ後に、現実にその状態になったとき、もはや周囲は真空でしかないという気分に陥ることがあるが、この音のズレはかなり現実的、経験的な感覚といえる。観客が主人公の視点で砂穴の恐ろしさを実感する効果的な音の使われ方である。
●3 映像との対位法は
悲しい場面に陽気な音楽を対位的に使うことにより、より悲劇性を表現するといった方法である。方法としては、コントラストにより視覚の限界を強調するか、映像と音楽との対立から新しいメッセージをつくりあげるかに分けられる。
●4 映像との偶然性、即興性として
ルイ・マル (Louis Malie, 1932- ) 監督「死刑台のエレベーター」 (Ascenseur Pour l'Echafaund
1958) では、マイルス・デーヴィス (Miles Davis, 1903- ) が映像に合わせて即興的に演奏したというが、ビル管理人によるエレベーター停止により、アリバイ工作が崩れていくジュリアンのジリジリするような焦りを、突き放すようなけだるいサックスが覆っていく。映像と音楽の対等な関係を保っていた。
●5 映像との異化効果は
ゴダール (1930- ) の「探偵」 (1985) のように、なんら脈絡もなく既成のクラシック音楽を流しつづけることにより、映像は寸断され観客はますます映画の画面の枠を意識し、映像に引きずりこまれることなく映画なのだという認識をもって、鑑賞することになる。
●50年近く前のクルト・ロンドンの危惧は
20世紀末の今日現実化している。主題歌に乗った映画音楽づくりは映画の全体構造を破壊し、背景音楽の 用は原始映画への復帰であるとするロンドンは、映画はいつの日か全世界の悪趣味を叩き込まれた大衆からも背を向けられ、そのとき映画館はガラ空になるであろうと予告している。1988年12月に封切りされた邦画の一部を挙げてみよう。東映系では「恋子の毎日」
(ジョージ秋山の漫画の映画化)、「ビー・バップ・ハイスクール」 (劇画の映画化)。東宝系では「これから物語」「ふしぎなBABY」 (光GENJI)。松竹系は「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」。にっかつ系は「妖女伝説88」「ひいふうみい」。これらの作品で、本当の映画好きを映画館に吸引できるかどうか、考えるまでもないであろう。否、本当の映画好きは、ビデオや有線で古きよき時代の名作を楽しむ時代に入ったのであろうか。後何年して、BB(ブロードバンド)という言語が一般市民にも知られるようになっっても。
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