映画における聴覚的要素の機能 -映像の培養基 音声・環境音・音楽-




現代における映画の多様性
映像と「音」の関係
20世紀の新ジャンルとしての映画「音」
視覚と聴覚
映画音楽と批評
発源体としての映画の「音」


 

●映画の一方の構成要素である映像は
激しい社会変動の先端技術のパートとして混沌の中で模索を重ね、今や社会の指導的役割を担い、着実な成果をあげているように見える。技術的にはスリット・スキャン、コンピューター・フィルム等、新しい映像世界の意欲的な開拓が進んでいる。技術とは別の次元では、従来の機械的再生過程に過ぎなかった映写が、映写過程そのものをパフォーマンスとしたマルチ・プロダクションとして注目されている。テレビ、ビデオ・アート、ホログラフィ、レーザー・アート等が日常の空間に容赦なく取り込まれていく。

もう一方の構成要素の「音」はどうか。
「音」自体は分解されつくし、ミュージック・コンクレートなど非現実的な人工音の存在が認識されて久しい。新しい音の試みの祭りとして、カナダのニューファンドランド島で2年おきに開かれ、1988年からの「サウンド・シンボウム(セレブジョン・オブ・サウンド)」では、地元の民族音楽から始まって、現代音楽、ロック、ジャズ系のもの、環境音等の非音楽的なものまで含めてさまざまな「音」で構成されている。すべての音が市民権を主張し、受け入れられる時代を迎えたといえる。

●独自に発展した映像と音が
ぶつかり合う場としての映画はどうか。長い間映画の「音」は、ジェルメーヌ・デュラック(Germaine Dulac, 1882-1942)の「レコード番号957」(Disque 957, 1928)のようにレコードに合わせてつくられたものは例外として、映像補足としての脇役に徹してきた。しかし、ビデオ・ディスクの出現は、70年前にベラ・バラージュ(Béla Balàzs, 1884-1951)が「視覚的人間ー映画文化」 (Der sichtbare Mensch, oder die Kultur des Films, 1924)や、「映画の精神」 (Der Geist des Films, 1930)で予測したように、映像が音楽の伴奏として登場したかに見せた。しかし、音が映像を凌駕したと考えるのは早計である。音楽ないし音は変革のただ中で軽やかに転身し続けながら、映像との共存の場では相変わらずパフォーマンスの伴奏であるかのような貧困なパターンを繰り返している。

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