グスタフ・マーラー交響曲第3番レポートサマリー



目次
イントロ
分析 I:広大な音楽文化圏
分析 II:交響詩と交響曲の融合

私見 I:マーラーの劇場体験からくるプロデューサーの目と、先駆的な技法の駆使について

私見 II:音楽史に見るマーラー評価の変遷

エピローグ


 

●1960年代後半に
日本では突然グスタフ・マーラー、ブームがわき起こった。世界のクラシックの潮流に乗ったとはいえ、1928年〜1960年代前半まで2年に1度演奏される程度だった日本のオーケストラが、1970年代には、年平均10回以上演奏するまでになったのである。その理由は、1つには世界的にオーケストラの技術が向上し、長大な難局を克服できるようになったこと。2つにラジオ、テレビなどのレコード、CDなどの発達により、いつでもどこでも、長さに関係なく流すことができるようになったこと。3つに、知の領域の価値観の転換により、精神内容のある古典派よりもカラフルでボリュームのある後期ロマン派の題目を聴衆も演奏者も好むようになったことなどが挙げられる。

●しかし、もっと根本的なことは
マーラー音楽は、管弦楽や交響曲の本質を示していることに、我々が目覚めたことにある。(マーラーは、生涯に未完成の交響曲第10番を含め、10の交響曲を作曲した。)ここでは、マーラーの交響曲第3番を分析することにより、現代音楽の開拓者と言われたマーラーの歩みと、その作品の背後にある非西欧音楽文化圏までに及ぶ広がりに迫ってみる。

●交響曲第3番を取り上げた理由は
1に交響曲第3番は、彼の他の交響曲に共通の多くの要素があること。つまり、交響曲第3番を読み取ることは、彼の交響曲そのものを論じることに等しいからである。2に、交響曲第3番の完成した1896前後は、彼の音楽人生の中で最も激動の時期であった。例えば、彼がオペラの指揮者としての名声を得、彼の人生で気力の最も充実した時期にもかかわらず、作曲者としては認められていないという葛藤のはざまにいたこと。

●ユダヤ教徒である彼が
いとも軽やかに改宗したのもこの時期とダブル。また、交響曲第3番完成直前の彼の弟の死による自然回帰への流れなど、作曲が作者の環境と無関係でいられないとするならば、交響曲第3番は、マーラーの人となりそのものを浮き立たせるいい材料であると考える。つけ加えるならば、マーラーの曲と人生を見ることは)同時に古典とは何かを問う行為であり、音楽史を新たに見直すことにつながるからである。

  交響曲第3番の分析 I:広大な音楽文化圏