2.幼年時代〜学生時代
 
音楽業界の中で数々の成功をおさめられた金子哲理氏。今21世紀になって、クラシック音楽に出来ることは何なのか。ポップやジャズに比べたら、年々CDの売上もコンサートに来る観客も減ってきているのはどの国でも事実。そんな現実の中、どのようにクラシック音楽を生きたまま残存する事が出来るのか、秘話も含めてお話をじっくり伺おうと思い尋ねてみた
 
「どうしてもヴァイオリンが弾きたくなった」
 
----------お忙しい中をお時間を割いていただきまして、ありがとうございます。実は、私は演奏家としてだけでなく、作曲や音楽も含めた総合芸術のようなもののプロデューサーにも大変興味を持っております。 早速ですが、金子さんの音楽との長いつき合いの発端についてお聞かせいただけますか。
 
音楽との出会いは、5才ぐらいだと思います。テレビで女性のヴァイオリニストの演奏を見て、どうしてもヴァイオリンが弾きたくなって、母にねだったんです。日本では子供が6才になったら習い事を始めるという伝統があるでしょう。それでだと思うんですが、僕が6才になった時に、近所のNHK交響楽団の楽員だったヴァイオリンの先生のところに連れていかれたのが最初ですね。
 
----------チューバーは、クラブの先生に習われたんですか。
 
家庭は、特に音楽的環境ではなかったですね。父はまあ音楽好きで、休みの日などクラシック・レコードを手回し蓄音機で聴いていた記憶はあります。そのころ聞いた曲が耳に残ってはいますが、両親が僕に音楽をさせようと思ったとは思いません。でも、ヴァイオリンを始めてからは、ずっとレッスンに通わせてくれたし、チューバも買ってくれたし、そういう意味では息子の好きなことを応援してくれました。でも高校時代に音大に行きたいと言った時には猛反対されましたけどね。
 
「友人のネットワークにはずいぶん助けられています」
 
----------その後は、ずっと音楽からは離れずにいらしたんですか。
 
ええ、以来ずっと音楽が好きで、小学校でも音楽のクラブ活動や鼓笛隊をしていましたし、中学に入ったその日に吹奏楽のクラブ活動に入部しました。その時はトロンボーンをやりたかったのです。なぜって延び縮みしてカッコいいから。でもトロンボーンはもう満員で、チューバに回されました。それまでチューバなんて楽器は知らなかった。それからは毎日チューバに明け暮れ、朝、授業が始まる前、昼休み、そして放課後と、毎日練習しました。とにかく好きでした。
 
----------チューバーは、クラブの先生に習われたんですか。
 
中学1年で始めた時は上級生とクラブ活動の先生に習って、高校に入ってからは、専門的にレッスンにつきました。一時はチューバで音大に進学することも考えたんですよ。ただ、チューバは何しろ仕事の需要が少ないでしょう。それに、そのころ僕の音楽の志向はモーツァルトなどの古典に傾いてましたからね、それがちょっと。チューバではオケでのレパートリーが中期ロマン派以降のものに限定されますからね。そんなことで、チューバ吹きになることを断念して、大学の経済学部に進みました。その時、チューバを手放してしまいました。
 
----------米国では、男子の音大生は結構多いんですが、日本の場合男性が音大に進学するというのは難しい選択なんですね。それで、大学では音楽と切れることはなかったのですか。
 
大学では、オケでヴァイオリンを弾いてましたね。4年生の時は練習指揮者もしたんですよ。そのために指揮のレッスンにも2年間通いましたし。大学時代はずっと弦楽カルテットを組んでいて、室内楽のレッスンもたくさん受けました。この時代に僕はオケと室内楽をずいぶん学びましたね。
 
----------とても、有意義な大学生活を送られていたんですね。友達もたくさんできて。
 
そのころの友人がいろんな分野で活躍していて、何かの時に友人のネットワークにはずいぶん助けられていますね。